この記事は完全に自分による自分の為のものです。
迷ったり悩んだりしたらここに帰ってきます。
成長したらこれを読んで「青いな」と鼻で笑います。
そうなれるようにこれからの行動を変え、これからの自分を変えていく為の整理として書いていくものとなります。
自分について
2005年、とある建設機械メーカーの現場作業員として社会人生活を始めました。
そのころの自分は向上心と言えるものはなく、ただ毎日を楽しく過ごす事を生きがいに遊びに遊んでいました。
そんな中でも「金持ちになりたい」や「権力を持ちたい」といった欲にはまみれていたように思います。
変化の兆し
自分の中で何かが変わり始めたのは入社から丸2年が経った頃。
製造現場で色々な組織改革が始まって新しく出来る「班」へ副班長として異動となりました。
その名の通り、副班長は班長の補佐。
現場全体を見ながら遅れたりトラブルがあるとそこをヘルプして製造ラインを潤滑に回す。
また、班長が不在の時にはその代役として班全体を仕切るという役割でしたがこれがまぁ面白かった。
まず頼られる事=必要とされる事。
そして範囲は狭いものの自分で決める権限を持った事。
ここから自分の中では「班長になりたい」や「係長になりたい」という上昇志向が生まれてきました。
しかしそのチャンスは存外早く巡ってきて、当時の班長がタイへ長期出張となり私が班長を務める事に決まったのです。
班長になってからはチャンスとばかりに様々な事を変え、様々な改善を実行するようになりました。
チャンスは逃すな
班長になって1年が経過した頃、リーマンの影響で会社全体で「現場改善」の大きなプロジェクトに取り組んでいました。
そしてそのプロジェクトに製造現場の班長クラスから数人選ばれるという話が持ち上がりました。
「班長になりたい」と思っていた1年前、そこから今に至るまでの間で気付いたのは班長レベルで会社の何かを変える事は不可能だという事。
更に影響力のある人間になり、更に上にいかなければしたい事は出来ないと考えるようになっていました。
なのでこれをチャンスと当時の係長に猛アピール。
絶対結果を出すからやらせてくれと。
係長もその熱烈アピールを受けてか関係なくか、私を推薦して下さりました。
目の前にチャンスの糸がある時に時として周囲を振り切ってでも掴み取る事が重要であると若輩ながらに感じていたのです。
改善との出会い
現場改善というものの幅広く、物流や生産技術、生産管理や設計との調整も多い中で問題発見の手法や考え方、投資対効果や予算取りなどもこのプロジェクトで経験しました。
私が改善というものを本格的に始め、その難しさや楽しさを知る事になった入り口はこれです。
自分が分からない時にはめちゃくちゃ勉強したし、納得いかないことには上司にもかみついた。
悔しくて泣いたときもあるし喜んで流した涙もありました。
「本気」でした。
多分この時が初めて仕事に「本気」になったタイミングでした。
いくつかの大プロジェクトを経て
その後、国内新工場立ち上げのプロジェクトやアメリカのサウスカロライナ州へ新しい工場を立ち上げるプロジェクトに参画させて頂き、様々な経験をしていく内に明らかに変わったのは自分の考え方。
もっと成長したい、もっと責任のある仕事をしたい、もっと。もっと。
仕事で睡眠時間が減るやらやりたい事が出来ないなんて全く苦にもならず。
むしろそれを達成する事で自分が成長できた実感を味わえる事に大きな喜びを感じていました。
しかし、アメリカからの帰国後。ここまで社内において恵まれてきた自分にとって我慢ならない事が起こります。
上司が変わりました。これはいい。しょうがない。しかしその上司は変化を嫌い、調和を望み、チャレンジを嫌う人でした。
その為、様々な提案を行ったり意見を出すと嫌われるようになったのです。
そしてもう盛大にやる気を失いました。
ここまで上しか向かなかったモチベーションが落差数万キロメートルレベルで急降下です。
選択の時
2017年に入ったばかりのころ。日本能率協会の特別講演で先輩が出会ったコンサルティングファームの社長から先輩とセットでお声をかけて頂きました。
しかし、当時の自分は悩みました。
まず一つに12年勤めた今の会社が自分の中で一つの世界になっていて他を想像出来なかった事。
二つ目はそのころ既に結婚していて子供も3人。家庭を鑑みず今の職を捨ててもいいのかという自問自答。
決めたきっかけはとある人の言葉と自身の決意。
私が尊敬する人から言われた言葉。
人生は選択の連続。毎日大なり小なり何かの選択を迫られている。この結果が今の自分。運や偶然ではなく今の自分は全て自分の選択の上に成る必然。死ぬ間際に「いい人生だった」と言えるかどうかは51対49以上の比率で選択に納得できるかどうか。納得できる人生を送りなさい。
このままこの会社にいて納得できる人生を送れるか。
その選択で後悔はないか。
文句を垂れ流して、生産性のない毎日を送るのは絶対に嫌だ。
選択してからはすぐに妻に相談。妻からは「好きにしていいよ、大丈夫」と言ってもらいました。
これには本当に救われた。ありがとう。
新たな門出
コンサルタントとして様々なプロジェクトに参画していく中でまず感じたのは「世界は広い」でした。
今まで一つの会社が自分の世界の全てだったのが一気に広がったのです。色んなやりかた、色んな考え方、色んな人。
その全てが刺激的でその全てが自分を成長させる要素だと。
そして経営者の方々と議論を交わし、右にも左にも自分の発言や考えが取り入れられる。
これほど責任感があって、やりがいがあって刺激的な事はない。
成長の日々です。
毎日色んなインプットをして、毎日アウトプットしては失敗し修正する。
そうして少しづつでも結果を出し、感謝される。
そんな経験を重ねて、結果としてたどり着いたのは「独立」。
自分で会社を持ち、自分で責任を持ち、自分が経営する自身の全て。
幸いな事にコンサルティングファームの社長も快く受け入れて下さり、この6月2日を以て独立する運びとなり現在へ至るといった所です。
初志貫徹
座右の銘です。この言葉と出会ったのは小学生のころ。
漢字が好きだった私は色んな四文字熟語を調べては「かっこいい四文字熟語」をピックアップしていました。
そんな中で何故か強烈に魅力を感じた四文字熟語がこれです。
そしてこの「好き」な四文字熟語の意味を知り、「こういう人間になりたい」と感じたのは中学生。
「初めの志を貫き徹す」
私は意思の弱い人間です。だからこそ強烈に惹かれたのかもしれません。
親がつけてくれた私の名前は「拓磨」これは自分の道を拓いて磨くという期待を込めてつけてくれたそう。
だからこそ、自分の道を拓いて磨く。初めに決めた事を貫き徹せる自分でありたい。
これが自分を構成する骨子です。
努力の積み重ね
天才という言葉が大嫌いです。
「あいつは天才」とか聞くと吐き気します。天才って、努力出来ない人の体のいい逃げ道であって、努力出来ない人が言い訳や保身の為に作られた言葉だと思っています。
「あーあ、のび太はいいよな。ドラえもんがいて」
と同レベルだと思っています。
本当に努力して、努力して死ぬほどやりきってそれでも結果が出る人と出ない人はいるでしょう。
でもそこまでやった人は「天才」という言葉を自分が成功できなかった言い訳にはしません。
誰の目の前にもチャンスの糸はあると思ってて、それを掴む掴まないは選択出来るんです。
「運がいい」ってのは表現としてあると思いますが、そのチャンスの糸に気づくか気づかないか。そして掴むか掴まないか。
気付いて掴んだその先で死ぬほど努力出来るのか。
これが運命を分かつのでは。
だからこそ、天才なんて言葉で片づけないでチャンスの糸を見極める力を養い、それを掴む選択を出来る自分を磨いて、努力を貫き徹せる自分でなければならないと自分を戒めています。
戦え
誰だって負けるのは嫌です。ただ、残念ながら負ける以前に戦わない人が非常に多い。
誰彼構わず戦え、敵を作れと言う訳ではなく、自分の意見を持てと思うのです。
そしてそれは発信しろと。
結果として自分が納得できる答えを相手が用意してきたならよし。議論の結果折り合いがつかないならそれもよし。
意見というのは自分を表現するものです。
意見を言わない時点で戦うまえから既に死んでる。せめて戦って死ねと。
まぁ少し言い過ぎですが、私はそう思います。
これからの未来に
今までは先人たちが作り上げてきた道の上を走ってきました。そのうえで道路を舗装したり、新たな分岐点を作ったり。
でもこれからは会社を立ち上げ、自らが道のない所に道を作るという選択をした。
時には超えられないような壁や天災、膝をつくときもあるだろう。
でも大丈夫、拓く道を磨いていけば必ず未来は明るい。
その為にも初めの志を貫き徹す努力を死ぬほどやれ。
弱音をはくな。心を折るな。絶対に道は拓ける。